昭和52年04月03日 光橋寿一郎家霊祭
おかげを頂きまして有り難うございます。おかげを頂いて、ほんとにあの御霊様も喜んで下さっただろうと思われる、これは真心一杯の皆さんの思いで奉仕されました。二十年という式年の、霊祭を只今終わらせて頂きましたが、ほんとにあの先生が生前、あの信心の上で関係の深かった人たちも、今日は皆ご参拝を頂いて、ほんとに御霊様も喜んでおられることだろうと思います。
先生は生前、中々趣味の豊かな人で、非常に雰囲気を大事にする人でした。今日私御神前にでらして頂いて、一番に始めに頂いたのが、もうまあ深まっていく秋という景色。こう姫ごりというのがありますね、あのごり赤いこのくらいのそれがあの木の枝にこう、下がっておる、もうなんとも言えんなら秋の風情です。そういう情景をまぁ頂いてから、まあヒントを頂いたんですけれども。
もし光橋先生が信心がなかったら、そういう言うならば素晴らしい雰囲気とかと言った様なものは、身に付けていたことだろうけれども、それではただなら姫ぐりが食べられるわけじゃなしね、ただ素晴らしい風情の人だったと言う事に終わって、いうならば魂が清まっていくとか、ほんとに宗教的にいう助かりと言う様な物はなかったと思うです。例えば食べ物でも、あれはすかんとか、これは嫌いとかいう好き嫌いがあっては、いうならば、ほんとのおかげとはいえない。
何を頂いても美味しいであって初めて、百味の御喰である。例えば人間関係でもそうです。あれはとても好きな人だけれども、この人は顔見るともすかん、と言った様ないうなら、好き嫌いの激しい人がありますが、それではもう極楽とはいえない。どちらを向いても、良い人どちらを向いても、仏様のような人、神様のような人とこう見えてくるときに、私が宗教的に助かったと言う言が言えれると思う。
光橋先生は非常に好き、嫌いの激しい人でした。ある時二人でお茶を頂いておりました。丁度ここに百合の花の投げ入れがしてあったんです。ほらほんとに見事な感じで入れてあった。私出てからちょっと座ったら、その百合の花が向こうむけてありますもん、だりがこげなこつしたじゃろうか、ちゅうたらいえ私がそげんしましたちゅうた。なしやちゅうたら、もう私は百合の花がこっちむいとると、もう身がぞんぞんするち。花がこれを見とるとね、なんか嫌な感じていうわけです。
そんなら片付けたほうがよかじゃんのち、向こう向けとると言う様にですね、好き嫌いが激しかったですね。それが今日はどうですか、あの御霊様の前に両方にあの、そのサイドにあっちこっちから頂いたお花であんなに綺麗に、入れてあるが百合の花が中心になっとる。いわゆる今日の御霊様は、もう百合の花もほんとに素晴らしいね、菊の花も素晴らしい、もう何を見ても美しく見えるという、私は表現だと思うんです。というくらいに、助かっとるわけです。
先生がお国替えの時に、一番初めに頂いたのは、「かげおさ」と言う事でした。かげというのは陰という字ですね。それの長と書いてほんとに確かに、その陰徳を積むというですかだまぁってですね、例えば私の茶の間の戸棚にですね、その私が喜ぶようなものが入れてあるんですよ。それで私があけて誰がこれを持ってきたじゃろうか、いやそりゃ確か、さっきから光橋先生が来ちゃったけんで。
光橋先生ですばい、してあくる日来てから、あんたじゃったのちゅうたら、はい僕ですよと言う様な、あもう普通でならですね、先生こげなもん持ってきました、例えば秋永先生なら反対ですもんね、もうとにかく、あけちから見せて喜ばせにゃ、気が済まんという感じの方でしょうが。光橋先生は反対でした。もう誰が持ってきたやら分からんようなですね。私はどちらが良いとも思いませんけど、もうまあ光橋先生と言う人は、そういう人でした。ですからね、その目に見えない所の助かりを頂いておる。
だからこれが形の上での助かりにつながって来ると言う事、ほんとにまだあの若さで、お国替えのおかげを頂いて、しかも信心も段々手厚うなって、光橋先生のお取次ぎで、人も段々助かるようになって、今日も先生がご生前の時にお取り次を頂いた方達で、先生のおかげで助かったという人達が、何人もお供え持って参ってまいりましたが、あの先生のお話は頂かんけれども、御結界にじっと、瞑目して座っておられるのに、接しただけでおかげを頂いておった、といっております。
そういう人だったですね。ですからそういういうならば、陰陽というならば、陰の助かりの人、いわゆるおくり名にも光橋きくね、きくねというのは菊の花を意味したものですけども、菊根陰長大人霊神、というそのおくり名にも、そういうそれが表れております。それで私は思うのですけれどもね、信心今朝からのご理解にも、信心をすれば誰でも受けられるものは、神徳だと。神徳は誰でも信心をすれば受けられる。しかもあの世にももって行け、この世にも残しておけるというのが神徳だと仰る。
だからいかになら、御霊様の助かってござる姿、あの世にも持っていっておる神徳、この世にも残してあっても、それが露出しておるわけじゃないです。ですからなら遺族の者特になら子供のここでいうなら、まさたかさんのごつ、まさたかさんが、親の信心を頂いて、おかげを頂くところに、たとえばもう親が残しておってくれておる、それが、すぐにいただけるという感じです。
いうならば、生前は陰の面でだけでおかげを頂いた。自分の心の面にだけおかげを頂いた、形の面には、そう見えなかった。その形の面が、なら、これからの、たとえばまさたかさんが、たとえば信心になって、親の信心を継承させてもらうというような、心がけになっときに、光橋の家の上に、そういう、いうならば、陰の事ではない、形の上にもおかげが頂けてくることを、私は信じます。
今日は先生が大変そのたたずまいというか、雰囲気を大事にする人でしたから、今日あの献茶のおかげを幹三郎がおかげを頂きました。善導寺の親先生が光昭も決まとった。光昭にだからこの光橋先生は、幹三郎を一番かわいがられました。その光昭が今日はお茶のお供えをまあいわばさせて頂きました。先生が生前愛用しておった道具を使いましたり、幹三郎がはいとりました袴は、先生が茶袴に使用しておった。
もう破れておりますけれども、椛目に持ってきておりましたから、それを今日始めてはかしてもらって、お茶の御用を頂いたわけです。ほんとにあの形の上での雰囲気とか、というものは、まあそれで済むのですけど、心の助かりというものは、やはり信心によらなければいけません。教養を積む趣味が豊か、確かにそういう言うならば深まっていく秋の情景に、いうなら姫ごりがこう、下がっておる情景なんていうものは、本とに素晴らしい秋の雰囲気を感じさせます。
だから感じさせるだけではない、それが魂の助かりにつながっていくという、それが宗教です。だからなら先生が大変その、若い時から趣味が豊かであったですから、そういうたたずまい雰囲気というものを身に付けておった先生でしたが、それが例えばなくして信心によって、頂くところの雰囲気というものが段々身についてきた。先生が御結界に座ってじっとこう瞑目しとれば、参ってきたものが助かるという感じの、所までお育てを頂いておられた。心がそれだけいうならば清められてきた。
おかげであれを見てもこれを見ても、美しく見え有り難いものに見えてくるようなおかげを頂いて、半ばにして例えばお国替えのおかげを頂いた様ですけども、実はこれはもう神定めの、神ながらなものであって、いうならば陰長的おかげを頂いて、お徳を自分も持って行き後にも残しておる。だから今度は形の上に表れてくるおかげを頂くためには、どうでも一つ、後のものの信心を大事にしなければならない。特に子供達の信心が、どのくらい御霊様も乞い願うておられるか分からない、ということです。
今朝から、今月号の、合楽だよりが、でけてきておりました。見せて頂きましたら、久富繁雄さんの、奇跡にものおかげのシリーズというのがあります。それに繁雄さん談というのがでております。その中に、たまたま、今日光橋先生と久富さんとの係わり合いのことが出ておる。先生が段々体が弱って、私の直接の御用ができなくならせて頂いたから、あの、久富繁雄さんにこういうならば託されて、先生の御用をさせて頂き時には、こういうこう言う事とと言う風に。
けれども全然片一方はそういう趣味豊かなその人でしたけど、久富さんというのは本当のお百姓さんで、なんにもそういうその趣味と、そのそういう根っからの素直な方ではあるけれども、そういうものを身に付けておられなかった。そこであただにあの光橋先生から言われて、お茶の稽古をさせて頂くようになって、それから二十年間親先生の御用をさせて頂いておるが、それこそ途中には夜泣き泣き帰ったこともあったと、もう本当に自分がごたあるものが、お茶のけいこでんなんてんと思うけれども。
まぁ親先生の御用をさせて貰うためには、光橋先生が、ああ言うてあったからというて、させて頂いたことが、記事に今日たまたま今月号の新聞に出ております。まああれやらこれやら思うて今日朝からさっき、久富先生と一緒風呂入らせて頂いて、先生がもう風呂ん中ですから、みみりませんけれども、ほんとになんか寿昭の事を言いよったようでしたけど、寿昭ちゅうのが、あの寿一朗の寿を頂いて、寿昭となんかあの先生のお取り次で助かった。
だからあの寿一朗の寿の字を頂いて、お名前を頂いた話のようでした。そん中でもう今日はあのよりますと、光橋先生がほんとこんな人じゃった、あんなこともあったというて、まあいろいろ思い出話しに、まあ余念がないほどでしたけど、ほんとに二十年の昔を忍ばせて頂いて、遺族の方は勿論両親の人たちが、このように皆集まってそしてそのお祭りが奉仕されたと言う事は、勿論御霊の徳と言う事ですけれども。
ほんとに神様のおかげで、また皆さんの真心で、今日のお祭りがでけたという感じです。今後共に一つ、御霊様の精進はさることながら、後に例えばこう言う御霊のお祭りなどを堺に、例えば親の思いを、継承させてもらうというぐらいに、私は親の言うならば、親孝行はないと思うです。信心の根本はなんというても親孝行、そこから親が残しておったものに気付き、親が残しておったものが、頂けると言う事になれば、いよいよ有り難いことですからね。
少し信心の稽古を敏江さん、とくに正孝さん、折角の信心をお母さんが、まあ一生懸命一人で信心しとりますから、子供達がこの信心を、継承させて頂くと言う言が、私は御霊様のお喜びではないだろうか、というふうに思います。まあ不行き届きながら、無事にお祭りを終わらせて頂きました。ありがとうございます。